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最高裁判所第一小法廷 平成4年(行ツ)143号 判決 1992年11月26日

東京都練馬区東大泉三丁目四三番四号

上告人

李聖三

右訴訟代理人弁護士

佐藤義彌

東京都練馬区東大泉六丁目四七番一九号

被上告人

練馬西税務署長

右指定代理人

加藤正一

右当事者間の東京高等裁判所平成二年(行コ)第五四号所得税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成四年四月二七日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人佐藤義彌の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決の法令違背をいうものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三好達 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平 裁判官 味村治 裁判官 小野幹雄)

(平成四年(行ツ)第一四三号 上告人 李聖三)

上告代理人佐藤義彌の上告理由

第一点 原判決は昭和四二年から四五年までの各年末の現金在高を一定とし、これを前提に被上告人の決定を支持した一審判決をそのまま肯定した点において、(一審判決とともに)納税者の納税義務の限界を明示し、租税法律主義の原則を定めた憲法の規定に違反し、または法の解釈、適用を誤った違法があるものとして破棄されるべきものである。

一(一) 憲法第三〇条は「国民は、法律の定めるところにより納税の義務を負う」として、国民(納税者)の納税義務の側から租税法律主義の原則を規定しており、これとともに憲法第八四条は「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」として、財政権力の側から租税法律主義の原則を定めている。

つまりそれは、納税者が法律の定めるところによらなければ納税の義務を負わないこと、納税者は法律の定めるところよりも多くも少なくも税をとられないという趣旨を明らかにしているのである。このように納税義務の限界、換言すれば徴税の限界を明示することによって納税者の基本的人権を擁護しようという意味をも持つ。

ところで租税法律主義の原則は、次の二つのことを意味するであろう。その一は、租税要件等法定主義、明確主義の原則といわれるものであり、課税団体、納税義務者、課税物件、課税標準、課税物件の帰属、税率等の租税要件はもとより、納付徴収等の手続にいたるまで、国会の制定した法律において、できる限り詳細に規定されなければならないとする原則である。従って、自らその二は、税務行政の合法律性の原則といわれているものであり、税務行政庁は、税法律の規定するところに従って厳格に、租税の賦課、徴収をしなければならないとする原則が生ずるであろう。税務行政庁の恣意的な判断によって税法の解釈適用がなされてはならないのである。

(二) 右の二つのことから具体的に以下(1)乃至(4)のことが法理的なものとして要請されまた理解されるであろう。

(1) 納税義務の消長、その他納税義務者の権利義務に関する事柄は、できる限り厳格、詳細に法律において規定されなければならない。租税法律主義は、もともと、法規を法律において厳格、詳細に規定することにより、税務行政庁の恣意的な法の解釈、適用を阻止しようというねらいをもつものであるから、税法の領域においては、不確定概念または概括条項、自由裁量規定の導入は禁止される。また憲法上、一般に命令への委任の場合においても包括的・一般的であってはならず、できる限り個別的、具体的であることが要請される。

(2) 税務通達は、現実には法と同様、ある意味では法以上の重要な役割を演じているのが実情であるが、しかし、通達は上級行政庁の指揮監督権に基づく下級行政庁に対する命令伝達の形式であって、行政の内規にすぎず、納税者および裁判所を法的に拘束するものではない。

法解釈学的には、通達は法源性を有しないのであり、就中、租税法律主義のもとでは、法源性の否定が当然であるのに、今日の実際では「通達行政」が幅をきかし、広範囲の納税者の基本的人権が侵害されているとの強い批判がなされているのである。

このような通達行政の現状から、根本的には、納税者の権利義務が正当に保護されるための適正な統制手段及び内容が検討されなければならないが、このことはともかくも、その司法的統制については、各具体的訴訟事件処理の場において即時可能であり、この意味において、司法の果すべき役割は重大なものがある。

(3) 租税法律主義のもとでは、税法規の厳格な解釈、適用が要請されるのであり、いわゆる法規の類推、拡張的な解釈、適用は禁止されなければならない。

(4) 租税法律主義のもとでは、税法の解釈に関して「疑わしきは国の利益に反して」という原理が成り立つであろう。

租税法律主義のもとでは、税法の目的は徴税の確保のことよりも納税義務の限界、徴税権行使の限界を示すことにより、納税者の基本的人権を擁護することにあると考えられるからである。

租税負担公平の原則を強調することは、場合によっては徴税権力の恣意的乱用を正当化する危険性も極めて大きく、「疑わしきは国庫の利益のために」との原理に連なるものであるが、憲法の租税法律主義論からみて、基本的にはその運用については慎重でなければならず、具体的税務処理にあたり、その合理性の有無が十分に検討されなければならないであろう。「実質課税の原則」ということについてもまた同様である。

(三) 前述してきたところは所得税逋脱犯の納税者の場合であっても例外視されるものではなく、このような者に対しては、恣意的な税務行政がなされてよいということにはならない。

すなわち、租税逋脱犯における租税所得の認定にあたり、いわゆる「推計の方法」を用いることは許されるが、それはその方法が「経験則に照して合理的である限り許される」(最高昭和五四年一一月八日二小決定、刑集三三巻七号六九五頁)のである。あるいは「その推計方式が合理的である限り適法」(福岡高判昭和三二年一〇月九日行裁例集八巻一〇号一八一七頁)とされるのであり、そうでない限りは許されず、あるいは憲法一四条、三〇条等に違反するとされるのである。

また、推計方法を用いる場合にも、それが合理的であるというためには、採用された推計方式自体が合理的であるというだけではなく、推計の基礎資料の選択等についても合理的であることが必要である。蓋し、その推計は最も実額に近いものと思考される額によるべきことは当然であり、推計するに当っては当該納税者の最も現実に即したあらゆる事情を考慮し、しかもその方法が納税者にとって合理的なものでなければならないのであって、架空のもの、あるいは単なる推測のものであってはいけないのである。

(四) 現行所得税法は、所得金額の計算につき損益計算原理を採用しており(三六条、三七条)、その年分の収入金額から必要経費を控除することにより所得金額を算出するのを原則としている。このように、損益計算原理を規定している以上、他の計算方法により所得金額を算出することは憲法に規定する租税法律主義に違背し、許されないのではないかとの疑義が生ずるが、この点については、所得税法自体が、右の計算原理を絶対のものとしてはおらず、例外を許容しており、その例外規定が、所得税法一五六条所定の「推計」規定である。すなわち、この「推計」が許されるのは、租税法律主義との関連において、本則の損益計算原理に基づく所得計算ができない例外的な場合に限られるのであり、このことは同条の法文には明示されてはいないけれども、その規定内容及び法典全体の構成に照らし、当然の解釈として肯認されるのである。

このように例外的な場合に限られる推計手段であることから、その方法等については、前記諸裁判例が示すように、所得の実額に近いものと思考される額を推計算出できる合理的なものであることが自ら要請されることになるのである。

従って、上告人の本件の場合には、推計の方法として財産増減法が用いられているのであるが、その方法による上告人の本件所得算出にあたっても、そのことにつき合理性を欠くものである場合には、租税法律主義を定めた憲法法規、またこれに基づく関係所得税法規の解釈、適用を誤った違法のものといわざるをえないのである。

(五)(1) ところで上告人は、所得税逋脱犯者として刑事処分を受けているのであるが、この種の所得税法違反刑事事件における「ほ脱所得」とは、偽りその他不正の行為により税を免れた所得部分であり、それは、原則として課税標準である「総所得金額」の正当額(実際所得金額)と申告所得金額との差額として計算されることから、所得税逋脱犯の特別構成要件要素として、主要事実となるものは、所得税の額と収入金額から必要経費を差し引いた金額(課税所得金額)であって、犯罪事実認定にあたってはそれを合理的な疑いを容れる余地のない程度に立証する必要があるのであり、民事裁判におけるような一応の蓋然性の程度でよいとするわけにはいかないのである。

上告人の右刑事事件における一・二審刑事判決も、その主要事実である課税所得金額を推計算出するについては原判決及びその一審判決と同じく財産増減法に依っているのであるから、刑事裁判事件として、合理的な疑いを容れる余地のない程度になされた立証並びに、これに基づく判決に示された額は、まさに最も実額に近いものと思考される額として重視されなければならないのである。

(2) 従って、本民事裁判事件において、右の刑事判決の示す額と異なる額の認定、あるいは賃借対照表の変更を行なうには、相応の合理的な理由を必要とすると解するのは当然の理であり、最高昭和三一年七月二〇日二小判決(民集一〇巻八号九四七頁)が「同一取引に関する民事刑事両事件が同時に」「係属する場合」「民事事件の判決において」「刑事判決において認定した事実を顧慮した形跡がないときは審理不尽の違法がある」旨を判示して原判決を破棄、差戻した裁判事例も参考にされなければならない。

二(一) しかるに原判決は、上告人の右刑事判決を軽視したばかりでなく、その認定した各年末の各現在高に反して、それを一定とする異なる事実認定に出ており、それらは以下述べるように著しく合理性を欠いているから違法というほかはない。以下、その理由を述べる。

(1) 先ず「刑事事件の確定判決との関係について」の原判決の判示についてみるに、原判決は「課税処分取消訴訟たる本件訴訟においては提出された証拠に基づき本件各更正及び本件各決定の適法性を審理、判断するものである」とし、「その際に本件刑事事件の確定判決が証拠として提出されれば、その内容は当然考慮されるべきではある」とはいうものの、「本件刑事事件の確定判決は、脱税犯罪に関する刑罰権の存否範囲を確定することにあり、本件訴訟とは、その目的、手続の性質、内容を異にしているものであって、本件訴訟に対する関係においては、右に述べた以上の法的効力を有するものではない」として、この点に関する上告人の主張及び所論を斥けている。

しかしながら刑事裁判と本件民事裁判とが、そのいうように、その目的、手続の性質、内容を異にするからといって、またそれだけの事由をもって「本件訴訟に対する関係において右に述べた以上の法的効力を有するものではない」との故をもって上告人の主張及び所論を斥けたのは、まことにお粗末といわなければならない。

いかに刑事裁判と民事裁判とは異なるといっても、そのことが税務当局自身が往々にして「実質課税の原則」をふりかざして賦課、徴収を行なっている以上、上告人の本件課税所得の実額あるいは実額に近値の貸借対照表及び所得がいかにあるべきかの究明がおろそかであってもよいということにはならない筈である。

前記のように刑事裁判手続においてなされた立証方法及び刑事判決に示された犯罪構成要件事実は、まさに実額に近いものとして税務当局としても十分に尊重しなければならない理のものであり、これをさにあらずとして否定するには、それなりの合理的根拠を要する趣旨の上告人の本件一審以来の主張及び所論はまことに正当であり、これを原判決が前記程度の判示をもって対応しているのは、理由不備の違法もあるというべきである。

のみならず、本件は行政裁判事件であるから、行政事件訴訟法第二四条による職権証拠調べの定めもあるのに、原判決がその判示程度の事由をもって上告人の右主張及び所論を否定しているのは、審理不尽の違法があり、税務当局の所見を格別の理由なしに肯定し、これに追随したとの批判をも免れえないであろう。

(2) 次は原判決が「各年末の現金在高は一定である」として一審判決をそのまま肯認した点についてである。

(イ) 原判決は、右の点につき「財産増減法を適用して、所得金額を推計する場合」「営業活動を行なっている者は、一定の額を超える現金を長期にわたって保持していないのが通常であると考えられることに鑑み、翌年初めに多額の支出が予定され、その支出を行なうために年末に多額の現金を所持している必要があるなどの特段の事情がない限り、各年末の現金在高は一定であるとして、各年分の所得金額を算出することも許されるものと解するのが相当である」という。

しかしながら上告人は、ガラス張りの経理内容を持ち、不必要な現金はすべて預金口座に入金するという経済人ではなく、所得税逋脱犯者として刑事判決まで受けた者であり、むしろ現金はできる限りその都合や必要ある場合に備えてそのまま保持し、その保管については火災や盗難のおそれのない安全な場所に安全な方法をもってし、これを不断に必要に応じて出入れするものとみるのが相当であるから一定ではなく、逆に不定とみるのが相当である。

それをあえて一定視する原判決の所見は、課税庁の便宜上、その主張に合わせて面倒をさけた安易な政策的なものといわざるをえず、司法判断というに値いしない。

もっとも「資産負債増減法による所得の推計において期首、期末の現金有高には変動がないものとみることは合理的である」とされた静岡地裁昭和三七年一二月一五日判決(税務訴訟資料六六号一二四一頁)、その控訴審判決である同旨の東京高裁昭和五〇年一〇月六日判決(税務訴訟資料八三号五六頁)があるが、その事案の提訴者は、単に更正処分を受けたにとどまり、本件の上告人のように所得税逋脱犯として刑事判決を受けることもなく、しかも双方の現金在高に関する主張が相互に喰い違っているだけの訴訟であり、現金在高につき刑事判決の事実認定の存する上告人の本件事案内容と同列にみることはできない。

(ロ) 「本件について」「各年末の現金在高は一定であったというべきである」とするについて原判決は、「本件係争各年を通じてパチンコ業等を営んでいたこと及び原告は現金出納帳を作成していなかったことを認めることができるうえ、本件においても、現在高を把握するに足る確実な資料は提出されておらず、また、右にいう特段の事情を窺うに足る証拠もない」というのであるが、上告人には前記のように所得税逋脱犯刑事事件について合理的な疑いを容れる余地のない程度に立証された刑事判決があり、その中で認定された現金在高は次のとおりとなっている。

<1> 一審判決

昭和四三年一二月三一日現在 金三、八五〇万円

昭和四四年一二月三一日現在 金三、八五〇万円

昭和四五年一二月三一日現在 金一、三五〇万円

<2> 二審判決

昭和四三年一二月三一日現在 金四、八五〇万円

昭和四四年一二月三一日現在 金三、八五〇万円

昭和四五年一二月三一日現在 金一、三五〇万円

右刑事判決の現在高、刑事訴訟法に基づく厳格な証明があったものとして認定されているのであり、原判決のいうように現金出納帳等の確実な資料に基づくものではないとしても、民事裁判手続における証拠認定に比べて、よりはるかに最も実額に近いものと思考される額というべきである。

(ハ) 蓋し、上告人の刑事裁判事件一審において、検察官が昭和四四年乃至四五年の各年末の現金在額をいずれも一定額の一、三五〇万円と主張したのに対して一審判決は、証拠調の結果、新たに発見された通知預金、合計二、五〇〇万円について、昭和四三年以前から現金として所持していたものと認めて、昭和四三年末、四四年末の現金在高をそれぞれ三、八五〇万円、昭和四五年末のそれを一、三五〇万円と前記のとおり認定して、修正貸借対照表を作成し、その理由として、「李聖三(上告人)が昭和三〇年代後半から四二年ころまでは不動産業も営んでいて、その当時から相当多額の現金を常に所持していたともいうのであって、多額の現金を所持することも全くあり得ないことでないこと」ならびに「検察官が本件において、李聖三の実際の所得金額として主張する額は昭和四四年分が約六、四〇〇万円余であるのに対し、昭和四五年分は約一億二、一〇〇万円余となっており、両年度間において、所得額の増加が前年の倍以上という異常な数値となっておることに関し、この所得の異常な増加理由について十分な説明がなされえない(李聖三の昭和四四年と四五年の営業の店舗数においてはさしたる変化もないと認められるところ、検察官は右の所得の増加の理由を売上の伸びによるものとし、昭和四四年の売上に対し、四五年の売上は一六%増(第一五回公判期日においては三六%増と釈明していたところ第二一回公判期日において一六%増と訂正)として説明しようとするけれども、売上額の一六%増が前記の如き多額の所得の倍増したことの説明としては不十分といわざるを得ない)こと」ならびに、右三口の通知預金の発生原因として、検察官においてすら「それが売上金の預入れであるとか、預金の預け替えであるとか、或いは又、貸付金の返済分を預金したものであるといった具合に、その発生原因を明らかにすることができない預金である」と述べ、右事実を認定したうえで、前記の修正貸借対照表を作成したものである(甲第六号証)。

また、刑事二審判決は、一審判決が認定した昭和四四年末現在の預金額の外に、昭和四四年一二月二六日預入れ、満期昭和四五年三月二六日とする額面一、〇〇〇万円の鈴木三郎名義の定期預金について、「満期に払い戻しを受けた右預金がその後どのようになったか不明であり、これが昭和四五年末においても、原判決の認定した以外の資産として存在していたことを認めるに足りる証拠はない。そうだとすると、原判決は昭和四五年初めの資産を一、〇〇〇万円過少に認定し、その結果、同年分の所得を一、〇〇〇万円過大に認定していたことになる」として、各年末の各現金在高を前記のとおりとし、修正貸借対照表を作成しているのである。この控訴審の判断の前提としては、一審判決において検討された李聖三が当初は不動産業をしていて、手持現金を多額にもっていた形跡があること、四五年とそれ以前の所得のバランス問題も、当然に考慮されていたものと考えられる。

(ニ) なお、現金在高に関する上告人の供述は、収税官吏に対するものと検察官に対するもの、更には刑事一審公判段階でのものと変転しているのであるが、各年末の現金在高をいずれも同じ位という上告人供述については「根拠のあるものか疑問」と原判決自体が判示しているところであり、刑事一審公判廷における上告人供述についても、原判決は「極めて不自然」「到底信用しがたい」というのであるから、客観的事実として一応頼りにできるのは、自ら刑事事件の判決だけということにならざるをえないのである。

(ホ) にも拘らず原判決は、刑事事件で争点になっていた昭和四五年一二月一六日、原告名義の通知預金六〇〇万円、同日李舜連名義の通知預金六〇〇万円、同日岩本聖三名義の通知預金一、三〇〇万円、合計二、五〇〇万円、及び四四年一二月二六日、鈴木三郎名義の定期預金一、〇〇〇万円について、現金在高に対する反映、影響について何も触れることがなく、また、刑事事件判決において指摘している上告人李聖三が不動産業を経営しており、その当時から相当多額の現金を常に所持していたということ、昭和四四年と四五年と対比してみても、事態に差はないにかかわらず、所得において著しいアンバランスがあり、合理的な説明ができないことの指摘についても、何ら解明することなしにこれらをすべて棚上げにして、前記の各年末の各現在高を一定とする所見を設定することはまことに乱暴な話であり、面倒だからそうしてしまえとの発想としか考えられないのである。このようなものにしがみついて、具体的な事実の検討をすべて不要として、棚上げにして、所得を認定するのは、証拠に基づく事実の認定ということもできない。

(ヘ) なお、上告人李聖三は昭和四四年においても、尚不動産業を営んでいたのである。

上告人李聖三は昭和四四年五月一三日に、八千代信用金庫石神井支店より、証書貸付により二、五〇〇万円借り受けており、これには債務者職業として不動産業と記載してあり、引き続いた証書貸付元帳にも同じく李聖三の職業として不動産業と記載してある(乙第一一号証)。

経営主体の営む業種がちがえば、当然手持現金の額がちがってくる。業種の差にかかわらず年末の手持現金は同一であるとすることはできない。又、不動産業の場合は、必要に応じ直ちに現金の支払に応じなければならない職業であるから、手持の現金が他の業種に比較して、多数にのぼることがあり得ることも又、経験則の示すところである。

上告人李聖三は、刑事事件判決によれば「四二年ごろまでは不動産業を営んでいた」(甲第六号証)というのであるが、不動産業から遊戯場経営業への転換がサラリーマンの転職のように、一日にしてかわるというようなことはあり得る筈がない。李聖三は、四二年ごろから徐々に遊戯場経営業に転換していったが、四四年においても金融機関から不動産業と評価される側面もあったのである。

従って、上告人李聖三の手持現金は、不動産業から脱却するにしたがって、その額を減じて行ったものと見ることができ、刑事事件判決添付の修正貸借対照表の現金勘定(甲第六号証、甲第四号証)の減少を認定せざるを得なかったのは、まことに当然のことである。

原判決が各年末の現金在高を一定とする所見の認定は全く合理性を欠いている。

(ト) のみならず原判決は、一定とするにつき「特段の事情がない限り」としているのであるが、本件においてはその特段の事情あることを原判決自らが示しているものということができ、この点からみても、被上告人の処分を支持したのは合理性がなく、違法といわなければならない。

すなわち、原判決は理由一3において「昭和四四年度における資産科目のうち土地及び建物(別表3の付表二の番号<10><11>)の資産計上額の合計が約二億四、五三九万円であるのに対して、同四五年度におけるそれの合計額は約三億七、八八三万円であって、およそ一億三、三四四万円と大幅に増加していること」「(しかるに)同四四年度の負債科目のうち銀行借入金及び個人借入金(同付表の番号<19><20>)の負債計上額は合計約二億〇、七二五万円であるのに対して同四五年度のそれは一億七、四七五万円であって、三、二五〇万円の減少となっており、借入金の増額をみることなく資産が著しく増加していること」を指摘しているのであるが、その指摘するところによれば、そのいうように借入金の増額をみることもなしに、逆に減少しているにも拘らず、土地及び建物の資産が昭和四五年中に一億三、三四四万円も大幅に増加しているのであり、右付表の番号<2><3><4><5><6>の各預金もその総額で減少するどころか逆に若干増加していることをも併せ考えれば、土地及び建物の資産の昭和四五年中の増加分については、その年中の手持現金の相当多額が振りむけられとものとみられるのであり、してみれば昭和四四年末の現金在高と昭和四五年末の現金在高を一定とする見解は甚だしく不合理であり、昭和四五年末の現金在高は前年末のそれに比し大幅に減少しているとみるのが道理である。このことからするも、刑事判決の前記現在高の判示は右道理に相応しているのであり、現金在高を各年末一様に一定視する原判決よりも、はるかに客観的事実に近く合理的なものといわざるをえない。

原判決の所論は、所得の実額追究を放棄した合理性を著しく欠く所見であり、課税庁が玉条とする実質課税の原則にも副わないまことに皮相、いいかげんな立論といわなければならない。

(二) 以上を要するに、各年末の現金在高を一定として被上告人の決定を支持した原判決は、その余りの不合理の故に租税法律主義を定めた憲法の規定に違反しまたは法の解釈、適用を誤った違法のものというべきである。

第二点 原判決は営業権の減価消滅を認めなかった点において法令解釈のあやまりあるいは事実認定につき経験則、論理則違背の違法がある。

一、原判決は、営業権について「当該企業の長年の営業活動により創出された特有の名声、信用、得意先、及び仕入先関係を基礎として生まれる社会的信用、当該企業の保有する営業上の秘訣、あるいはその営業についての許認可ないしは立地条件を含めた独占性、更には、その経営組織等の諸々の要素が有機的に結合されることにより他企業を上回る企業収益を稼得することができる無形の財産的価値を有する事実関係である」と述べる。

一般的に言えば、この判示は是認できる。

そして、本件に即していえば、原判決は、

1 前主の安嶋庄吾が、三楽ホールの店名でパチンコ営業をはじめ、営業の地盤を作ることに苦労したが、一〇年にわたり営業を続けた結果、控訴人が買受けた当時は客の入りがよく、盛況を呈していたこと。

2 近所にはパチンコ店が一軒あるだけであったこと。

3 武蔵関駅前にあり、両面が商店街に向いているため、立地条件がよいこと。

に加えて、

4 「パチンコ営業は風俗営業としていわゆる警察許可の対象となっているが、既存の営業が譲渡されたことによるため右警察許可が円滑に得られていたこと、原告は三楽ホールを買受けた後から同ホールを取り壊す昭和四五年八月までのおよそ一年二か月余りの間営業を続けていたこと」

の四者が結合して、営業権を組織しているとしている。

しかしながら、駅前に所在にし、商店街の真ん中にあるという立地条件は、通常それに相応した土地代価の支払によってつぐなわれるから、特に営業権の構成部分とすることは適当でないであろう。

また、上告人は、四五年八月に右三楽ホールの建物を取り壊し、営業を休止し、新しい建物を建てて、同年一二月に武蔵関会館とし営業をはじめたこと、旧来の従業員はすべて解雇して、武蔵関会館は新たな従業員をもってはじめたことは争いがなく、三楽ホールの建物の除却により、顧客の継続性は失われ、武蔵関会館として営業をはじめるにあたっては、新規の客を誘引すべく諸方策を講じなければならなかったものである。してみれば、少なくとも営業権を組織する要素のうち、前記1、4の要素は失われ、または少なくとも著しく減殺されたのである。前記2、3の要素は存続したとしても、前記の通り土地代金に算入されるべき部分が多く、近所にパチンコ屋が一軒だけという条件も、他の資本の意思にかかることで、控訴人が他のパチンコ屋の開店、進出を阻止することはできないのである。

二、要するに原判決は、「営業権の重要な部分以外の事実関係の一部に若干の変更があったとしても」本件の場合「営業の同一性は失われていないというべきである」から、「本件営業権の価値が減少したとか、あるいは本件営業権が滅失したとかいうことはできない」とするのであるが、武蔵関会館の営業が三楽ホールの営業の継続であるとの判断は、三楽ホールの如何なる部分の継続であるということなのであろうか。

三楽ホールの建物取り壊しによりパチンコ営業は原判決も認めるように「店舗の新築のため約五か月間」も閉鎖されていたのであり、前記2のように近所には同業のパチンコ店もあり、「約五か月」間ものロスは移り気な顧客を集めるには相当の金と宣伝もつぎこまなければならず、店名も従業員も変わり、それは、まさしく新規のものとみるのが相当であるから、同一性が失われていないとみられるとしても、営業権が滅失したか、またはそれに近い大幅の価値減少を来たした、少なくとも半減したものとみるべきものである。これと異なる判示に出た原判決には前記の違法があるというべきである。

第三点 原判決は、上告人主張の未払金全額を否定したにつき、左記の違法がある。

一、原判決は甲第二号証四(一二〇万円の領収証)、同号証五(一五〇万円の領収証)が「本件刑事事件の押収物件の中にはなかったというべきであるから、これらは後日作成された疑いがある」というが、「本件刑事事件において押収された原告の支払明細帳に」「甲二号証の四及び五の領収書等の記載に対応する支払については記帳されていなかった」としても、記帳忘れということもありうる。また原判決は、「支払明細帳の記載と押収されていた領収書等の内容との間に整合しない点はなかった」というが、右のように「記帳されていなかった」ことから整合の際甲第二号証の四及び五の領収書の確認が勢いおろそかとなり、看過したことも考えられるのであり、また右甲号証の四及び五が「還付を受けた本件刑事事件の押収物件の中にあった」とする本間富夫証言も存するのであるから、原判決が「押収物件の中にはなかった」といいなし、このことから更に「後日作成された疑いがある」とまでいうのは、まことに早計軽率であり、過言である。

上告人が所得税逋脱犯につき有罪の刑事判決を受けていることから、後日その位工作するかも知れないとの原判決の考えかも知れないが、何百万程度のこと位で、そんな疑いをかけられるとは上告人としてはまことに不本意である。

二、原判決は甲第二号証六(二〇〇万円の領収書)については「還付を受けた本件刑事事件の押収物件の中にあった」ことを否定しておらず、ただ単に「押収された原告の支払明細帳には」「対応する支払」の「記帳されていなかった」ことのみを述べているにすぎないのであり、従ってこれは甲第二号証四及び五の記載に対応する支払の記帳忘れと同じく記帳漏れということが十分に考えられるのである。のみならず甲第二号証六が還付を受けた押収物件の中に存したとすれば、甲第二号証四及び五について「押収物件の中にはなかった」とか「後日作成された疑いがある」というのも著しい誤認、誤解というべきものである。

三、右一、二によれば、原判決が甲第二号証の四乃至六に関して上告人主張の未払金があったことを否定したのは、経験則、論理則違背の違法があるものと考える。

第四点 原判決は、「什器備品勘定」について被上告人の自白の撤回に異議があるとの上告人主張を否定した点において、法解釈、適用を誤った違法がある。

すなわち原判決は、「什器備品勘定がいくらであるかについては被告が主張責任を負うのであるから、被告の自白の対象となることはあり得ない」として上告人主張を認めないのであるが、自白とは当事者の一方がなした権利の存在または不存在に関する事実上の主張を他の一方が承認する意思表示である(大審明治四三年一一月五日民一判。新聞六八三号二七頁)。

必ずしも、その事実の挙証責任が相手方にある場合には限らず、本来自己が挙証責任のある事実を否定する陳述もまた自白となると解するのが相当である(兼子一。條解民事訴訟法第二五七条の項御参照)。

蓋し、相手方の主張と一致する陳述が自白となるのであり、両陳述の時間的先後を問わないから、当事者の方から進んで不利な陳述をし(先行的又は自発的自白)後に相手方がこれを援用すれば、その時に自白となるのである(大判昭和八・二・九民集一二・三九七、判例民事法昭和八年度一一一頁、大判昭九・六・二三法学四の一)。

にもかかわらず原判決が「自白とは相手方が主張責任を負う事実を認める陳述であり」「什器備品勘定がいくらであるかについては被告が主張責任を負うのであるから、被告の自白の対象となることはあり得ない」として上告人主張を認めなかったのは法令の解釈、適用を誤った違法なものというべきである。

第五点 原判決は、昭和四七年一一月一三日、上告人に賦課決定された事業税を昭和四四年分及び昭和四五年分の必要経費に算入することはできないとした一審判決の判示を肯認した点において、法令の解釈、適用を誤った違法がある。

すなわち、一・二審判決は算入できない理由として、上告人主張の事業税が「昭和四五年一二月三一日以前に確定していなかった」ことを理由とし、所得税法第三七条一項には(償却費以外の費用でその年において債務の確定しないものを除く)と規定され、また所得税基本通達三七-六にある税務上の取扱いとして「各種所得金額の計算上必要経費に算入する国税及び地方税は、その年一二月三一日までに納付すべきことが具体的に確定したものとする」となっている。

しかし上告人は昭和四七年八月三一日に昭和四三年分と昭和四四年分の各所得につき各更正を受け、右両年分の事業税も右更正されたところに従い追加徴収されているのである。

のみならず事業税の納税義務は、本来的にその事業年度の終了によって発生するものであり、また事業税は、客観的にみて、それが、事業の業務と直接の関係をもち、かつ業務の遂行上必要不可分な支出(必要経費)と目して控除できることになっており、しかも資産計算の面では更正の効力により、益金の確定は遡及されてなされるのに、これに従属不可分のものである損金としての未納事業税のみが益金と同様に遡及することなしに更正の年度の必要経費として扱うというのは、いかにもつれない跛行的な話で、合理性を全く欠いており、また不公平な結果を生ずることにもなる。

してみれば(その年において債務の確定しないものを除く)の前記法の定めは租税行政上の単なる技術性、形式性に由来する定めであるにすぎず、本件の場合のように更正による益金とそれに伴う事業税の追加徴収分の損金とが、同時計算できるときには、そのように処理されることは何らの支障ないばかりか、そのことは何よりも事業税が事業の業務またその業務に基づき収益と直接且つ必要不可分の関係をもつ必要経費であることの本来の趣旨に副うものであるから、このような場合には(その年において債務の確定しないものを除く)の前記法の定めの適用はなく、本旨に従い上告人主張の時期に算入されるべきものと解するのが正当である。所得税基本通達は単なる税務行政上の取扱いをいうにすぎず、それ以上の格別のものではない。

原判決は法文の形式的な文面解釈にとらわれて必要経費である本件の事業税の算入時期を誤ったものとして取り消すべきものである。

以上

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